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kawabouの日記

混沌の世の中をマドルスルーするための日々雑記。はたらく、みる、かんがえる。そしてときどき、自転車に乗って。

かぐや姫/「自由への逃走」

かぐや姫の物語」は、とても美しい映画です。

しかし同時に、この国が大きく揺れている今、とても大切なことを問いかけているように感じます。
 
「自由とは何か」 
 
この現代的のテーマは、不可思議ともいえるエンディングシーンに隠されています。
ネタバレが含まれますので、ご了承ください。
 
いよいよ月に帰らねばならなくなったかぐや姫
多くの兵が「かぐや姫」を守るために屋敷を取り囲む中、絶大な「チカラ」をもった天上からの一行が、迎えにきます。
そして、天の衣をかけられた「かぐや姫」は、記憶をすべて失ってしまいます。
しかし姫は、地球を離れるとき、地上を振り返り、悲しげな表情を浮かべます。 
 
これって、どういうことなんでしょうか。
記憶を消去されて、静かなる心をえる、それは美しい理想郷なのでしょうか?
 
地上は「けがれ」の場所。
人の心は実に不可解だし、時に不条理です。
一方で、天上世界は、清らかで、乱れのない、秩序の世界。
しかしそこに「こころ」はありません。
 
地上には、移ろう四季があり、その美しさには、心が動かされます。
男と女は恋におちるし、時に諍いも絶えません。
でも、だからこそ「生きている実感」があるともいえるのです。
 
宮崎駿監督が「風立ちぬ」で舞台装置にに選んだのは、「震災」「病」「言論統制」「戦争」という、暗くてタフなこの国の過去でした。
いま、どことなく重苦しい時代だからこそ、このテーマから逃げてはいけないという思いがあったのだと思います。
 
そして高畑勲監督は、誰もが知る「竹取物語」を原作にした映画をこのタイミングで世に放った。
そこにはスティーブ・ジョブズの「1984」みたいな、体制に対する挑戦、ないしは、「時計仕掛けのオレンジ」でキューブリックが放った「自由とは何か」という問いがあるように思うのです。 
 
為政者は、いつの時代も社会というシステムが、乱れなく合理的であることを追求しがちです。
しかし時に「体制」は、「自由」を踏みにじることがあります。
 
高畑監督が学生時代に出会い、映画を志すきっかけとなったといわれる、フランスのポール・グリモー監督が手がけた長編アニメーション映画「王と鳥」。
それはまさに「体制と自由」をテーマにした物語です。
 
以下、あらすじをWikipediaより。
砂漠の真ん中に聳え立つ孤城に、ひとりの王が住んでいた。その名も、国王シャルル5+3+8=16世。わがままで疑心暗鬼の王は、手元のスイッチ一つで、気に障る臣下を次々に「処分」していった。 望みさえすれば、なにものでも手に入れることが出来るはずの王シャルルは、しかし、ひとりの羊飼い娘に片思いをしている。 城の最上階に隠された、秘密の部屋の壁に掛かった一枚の絵の中に、その美しい娘はおり、隣合わせた額縁のなかの、煙突掃除屋の少年と深く愛し合っていた。 嫉妬に狂う王を後に、ふたりは絵の中から抜け出し、一羽のふしぎな鳥の助けを借りて城からの脱出を試みる。
この映画をみた高畑監督は、「アニメーションが思想や社会を語ることができる可能性を感じた」そうです。
 映画は閉じたものではなく、外の世界で風がふけば、それが作品の中にも吹き込んでくるようにしたいと語る高畑監督が作り上げた、映画「かぐや姫の物語」。
先の見えない、どこか息苦しさを感じる今、骨の太いテーマを感じさせます。