弱さを知ってこその強さ 「ゼロ」 堀江貴文
六本木ヒルズを舞台に大暴れていた堀江は、鼻っ柱が強い、ビックマウスな拝金主義者というイメージが強い。
しかしこの本から伝わってくる堀江貴文は、少し違う。
2年6ヶ月の実刑判決。
拘置所での独房生活。
留置場では、介護衛生係として高齢受刑者の下の世話をした。
すべてをさらけ出すかのように、塀の中の日々についても赤裸々に書き綴る。
かつて堀江は、ITバブルの波にのり、一躍時代の寵児となった。
当時のメディアは「不遜なIT成り上がり者」としてその姿を伝えることに終始した。
大衆もそれを望んだ。恐らくは、堀江自身もその役を演じ切ろうとしていた。
しかしその「虚像」は、堀江自身の手に終えないほどに膨張し、気がつけば多くを失っていた。
そんな堀江が、刑期をおえるタイミングで上梓したのが、「ゼロ」だ。
「かっこつけず」にありのままの自分を伝えようとつとめたという本書には、これまで自分を助けてくれた人々への感謝の言葉が並んでいる。
独房での孤独な夜、人知れず嗚咽していた自分に、食事の穴から声をかけてくれた刑務官。
逮捕された後、全てを失ったと失意の最中に、寄せ書きをくれた仲間たち。
幼い堀江少年に、あなたのいるべき場所はここではないと、道を示してくれた小学校時代の恩師。
多くを失い、再び「ゼロ」から立ち上がろうとする堀江は、自分の弱さをさらけ出す事に迷いがないように見える。
この本の中で、かつての自分をこう振り返っている。
“これまでは自分の意見を伝えるときに結論だけ急いで言っていました。”
“マスメディアを通じて言葉の表層だけが伝わってしまうことが多々ありました。そしてそのときは賛否両論あるのも分かったうえで、それでいいと思っていました。でも今回は、できるだけ多くの人に本心を分かってほしいと思い・・・”
自分とは一体何者なのかを、他者に伝えることは思いのほか難しい。
多くの人は、かつてのホリエモンのように、どこかであきらめている。
人と人とはそんなに簡単に分かり合えるものではない。
どうせ分かってもらえないと自分の殻に閉じこもってしがいがちだ。
しかし「分かり合う」ということの前提にあるのは、まず自分を晒すとことだ。だからこそ自分の弱さをさらけ出し、想いを伝えることのできる人間は、強い。
お笑い芸人がもてはやされるのには、ちゃんとした理由がある。
それは自分の短所を客観視し、それを笑いにかえることで、人との距離を縮めることができるからなのだ。
どん底をかいま見た堀江は、自らの辛い経験を語ることに躊躇がない。
その言葉は、これまでのどんな強弁よりも、強いチカラを持つ。