kawabouの日記

混沌の世の中をマドルスルーするための日々雑記。はたらく、みる、かんがえる。そしてときどき、自転車に乗って。

78歳の執念 「かぐや姫の物語」

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映画「かぐや姫の物語」は、高畑勲監督の実に14年ぶりの新作だ。
製作費50億円、8年の年月をかけて作られた大作。
最近の邦画では、実写で10〜20億程度なので、いかにスケールがでかいかが分かるだろう。
その重圧をはねのけ、78歳の高畑監督は、日本映画史に残る傑作を作り上げた。
 
しかしながら高畑監督は、本当に強靭なんだと思う。
映画監督には様々なプレッシャーがのしかかる。
ブランクがながければながいほど不安が募るだろうし、製作が始まれば、毎日頭をかきむしって、正解のない問いを考え続けることになる。
またどんな名監督でも、1本こければ「あの人は終わった」みたいに言われる。
 
 テレビのディレクターも同じだ。
ブランクが空けば、次を作るのは怖くなる。
周囲から評価を得ている人であれば、「こけられない」という強迫観念が加わり、どんどんと追いつめられていく。
過去の成功体験に囚われるあまり、「守り」に入ってしまうことも多い。
 
しかし高畑監督は、ブランクをものともせず、より先鋭的に、前人未到の領域へと踏み込んだ。
背景美術の巨匠、男鹿和雄が描き出す日本の四季の繊細さ。
余白をあえて画面に残し、水彩画のようなみずみずしい映像の美しさ。、
「眼福(がんぷく)」という言葉があるが、絵巻物のように展開するその淡い世界に、冒頭から引き込まれ、酔いしれる。
劇場で上映が終わった時、すさまじい映像体験ゆえか、エンドロールが終わるまで、誰一人席を立つ人はいなかった。
ピクサーを牽引するジョン・ラセター監督も、「かぐや姫」の制作途中に映像をみて、驚嘆したという。
確かに、それはかつてディズニーがみたことのないような美しい映像で世界を魅了したように、全く新しいアニメーションの可能性を示唆している。
 
常に新たな映画表現に挑んできた高畑監督、そのこだわりは数々の逸話を持つ。
かつて「火垂るの墓」を世に送り出した時、公開に完成が間に合わず、一部のシーンが色を塗られていない状態で上映した。
そして今回の「かくや姫の物語」では公開が大幅に延期された。
もともとは、宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同時に、夏休みの上映が予定されており、発表もされていた。
しかしまたも制作は遅れ、公開は延期11月へと延期されたのである。
 

スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーは、その著作のなかでこんなことを書いている。
高畑さんというと、必ず話題になるのが髪の毛である。髪が黒い、真っ黒だ。髪を染めているわけでは無い。なのになぜ、黒いのか?高畑監督を知る人は、まずこの髪のことを話題にする。ぼく自身、「おもいでぽろぽろ」を作っているときに、髪がどんどん白くなった。それを見た宮さんが、僕を揶揄してこう言った。
「パクさんに負けたんだよ。鈴木さんは」
鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 3 あとがき〜
 
鈴木プロデューサーによると、78歳の高畑勲監督と、72歳の宮崎駿監督は、日々の会話のなかでほとんど過去を振り返らないとのだという。
常に「今」、そして「未来」のことを話している、だから年をとらないのだと。
 
高畑監督は、いわば日本のアニメーション界を長きにわたって牽引してきた「巨人」だ。
「太陽の王子 ホルスの大冒険」、「パンダ・コパンダ」、「アルプスの少女ハイジ」、「母をたずねて三千里」、「赤毛のアン」、『じゃりんこチエ」など名作を次々とてがけてきた。
ジブリ以降、「火垂るの墓」というシリアスな作品を作ったと思えば、「平成狸合戦ぽんぽこ」や「となりの山田くん」など、その表現もテーマも、とどまる事なく変化してきた。
つまり過去の栄光にあぐらをかかずに、つねに攻めの姿勢で作品を作り続けてきたといえる。
その長き「闘い」の果てに、「かぐや姫の物語」があるのだと思う。
78歳の、すさまじい執念をみたような気がした。