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kawabouの日記

混沌の世の中をマドルスルーするための日々雑記。はたらく、みる、かんがえる。そしてときどき、自転車に乗って。

優れたインタビューとは?  「流星ひとつ」沢木耕太郎

インタビューというのは、誰がしても同じには決してならない。

資料を事前に読み込み、どんな順番で何を聞くのか、プランを立てて臨む。

それでも人はなかなか本当のことはしゃべらない。拙速に心の深淵にたどり着こうとすれば、真実はくるっと踵を返し、歩き去ってしまう。

最終的に何が決め手になるのか、それは聞き手そのものの「人間としての力」である。

 

流星ひとつ

流星ひとつ

 

 

沢木耕太郎の「流星ひとつ」には、聞き手が、手探りで、だが確実に取材対象との「間合い」を詰めていく様が記録されている。2人の息づかいのようなものが行間から伝わってくる。

舞台は1979年秋、東京紀尾井町のホテルニューオータニ四十階にあるバーだ。ウオッカ・トニックを飲みながら、天才歌手・藤圭子という才能の本質へと間合いを詰めていく。その瞬間にしか生まれない、「張りつめた空気」がこのインタビューにはある。

 インタビューが嫌いだと言い切る藤圭子に、沢木はこう宣言する。

「インタビューというのは相手の知っていることをしゃべらせることじゃない、(・・・)すぐれたインタビュアーは、相手の知らなかったことをしゃべってもらうんですよ」

この沢木の覚悟の宣言が、作品のドラマツルギーとなる。

つまり藤圭子は自分も気づいていないような心の底に眠っている「秘めたる思い」を、果たして話す事になるのかということだ。

幼い頃、父母に連れられての旅芸人の生活、歌手を目指して上京、稼ぐために流しをした、貧しい服を着ながらもキラキラした日々、型にはまらない等身大の、人間・藤圭子の姿が次第に浮かび上がっていく。

人の人生は、決して類型化できるものではない、その沢木の優しいまなざしが、そこにはある。

 

沢木耕太郎は、日本を代表するノンフィクションの名手である。

その沢木が、1979年に引退宣言をした藤圭子へのインタビューをまとめたのが「流星ひとつ」。当時、新しいノンフィクションの「方法」を模索していた沢木は、この作品において一切「地」の分、つまり説明を加えずインタビューだけで描き切るということを試みた。藤は、これまで語る事のなかった「引退」への思いと決意を語ったこの作品は、当時としても強いインパクトをもっていたと思われる。しかし沢木は、この作品を一旦封印した。

「これから新しい人生を切り開いていこうとしている藤圭子」にとって邪魔になるかもしれないと考えたこと、そして自分のノンフィクションの「方法」のために。引退する藤圭子を利用したのではないかという気持ちがあったのだという。

 

しかし沢木は、33年の時をへて、その封印を解いた。

藤圭子の死以来、マスコミは彼女を変人扱いし、肉親たちの想いのすれ違いを面白おかしく、そして執拗に報道しつづけた。

精神を病み、長年奇矯な行動を繰り返した果ての投身自殺ということだけがクローズアップされた。そんな最中、このインタビューを世に出す事を決意したのだという。後書きには、宇多田ヒカルに「輝くような精神の持ち主」だった藤の姿を知ってほしいと願う、自らの気持ちを綴っている。

 33年前にこの作品を封印した理由と、その封印を解いた理由は、根底のところでは同じなのではないだろうか。

 

かつて、尊敬するドキュメンタリーカメラマンからこういわれたことがある。

「人を記録するということは、その場限りのものではない。人の人生に踏むこむということは、その人との関係を生涯にわたって続けていく覚悟があってこそだ」

 

実は、沢木は当時、藤圭子と非常に近い関係だったとする報道もある。その真相は分からない。しかしそのことでこの作品が放つ輝きは損なわれることはない。

 

ノンフィクションというのは、人との関係を記録する事である。

そんな意味において、沢木のこの作品は、その本質に挑んでいる。